バフェット太郎です。

「バリュー投資の父」であり、名著『証券分析』の著者であるベンジャミン・グレアムの教え子は、何もウォーレン・バフェットだけではありません。ウォルター・シュロスというバリュー株投資家もまた彼の教え子の一人です。

シュロス率いる資産運用会社ウォルター・J・シュロス・アソシエイツは1955年に設立され、1956年から2002年までのトータルリターンは16%でした。これは同期間のS&P500のトータルリターン10%を大きくアウトパフォームする素晴らしい数字です。10年程度であれば、これくらいのパフォーマンスを叩きだすファンドは珍しくないのですが、46年間にも及ぶ期間を考えれば、まさに驚異的であると言えます。

ちなみにこの6%の差にピンとこない人は下のグラフを見てください。
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例えば、1万ドルを投資した場合、S&P500は88万ドル(約9000万円)にしかなりませんが、シュロス・アソシエイツに投資していれば1070万ドル(約11億円)にもなるのです。

時間が経てば経つほど、複利の力は加速度的にパフォーマンスに影響を及ぼすことが理解できると思います。では、シュロスはどうやってこれほどまでに驚異的なパフォーマンスを叩きだすことに成功したのでしょうか。

1989年、とある投資雑誌のインタビューで、「あなたの投資アプローチの要点は?」と聞かれると、「割安に買うことです」とだけ答えたそうです。

シュロスは投資の教訓を1929年の大恐慌で学びました。当時まだ中学生だったシュロス氏は株式市場の暴落により、母親が相続した資産をすべて失い、さらに父親が小遣いで買っていた株が紙くずになったのを目の当たりにしたのです。この時の経験からシュロスの投資目標は「カネを失わないこと」になったのです。

シュロス氏がウォールストリートの証券会社で働くようになったのは、大恐慌の影響を受けて父親が失業してしまい、家族を支えるためだったそうです。そこで勤めていた会社の上司からベンジャミン・グレアムの『証券分析』を「この本を理解しておけば、他の本を読む必要はないよ」と紹介されたことでグレアムを知ったそうです。

しかし、1939年になると第二次世界大戦が勃発し、愛国心の強いシュロスは従軍することを決意します。シュロスはこの時の戦争体験が自身の投資哲学をかたちづくったと次のように説明しています。「マーケットで生き残ることは、戦場で生き残ることと本質的に同じだ。できるだけ損失を出さないようにして生き残ることさえできれば、結果的にいくらかの財産ができているはずだ。また、人生は短いものだから、自分に自信を持って、嫌いなことに時間を使うのではなく、好きなことに粘り強く取り組めばいい。それが財産を生んでくれるのだ」

1946年の終戦後、シュロスはグレアム率いるグレアム・ニューマンの下で働き始め、「ネット-ネット株」を探し始めます。この「ネット-ネット株」というのは、運転資本の価値よりも割安になっている株を探し出すことです。

具体的に言うと、企業にある現金と、現金と同等の流動性をもつ資産を額面で評価し、売掛金と在庫の割引現在価値を求め、その合計から負債を差し引き、算出された数値を発行済み株式総数で割り、一株当たりのネット-ネット価値をはじき出すというものです。

このネット-ネット価値を下回る株を買うことは、あたかも1ドルを60セントで買うようなものと表現され、シュロスやグレアムはこうした割安株に分散投資し、資産を拡大させていったのです。

シュロスはその後独立し、ウォルター・J・シュロス・アソシエイツを設立しました。ここでの投資手法はグレアム・ニューマンにいた時と同じで、ネット-ネット株ばかりを探すことで収益を拡大させていきました。しかし、次第にこのやり方が通用しなくなり、割安株がこれ以上探せないと悟ると2002年にパートナーシップを解散しました。

シュロスの投資手法を簡単にまとめると、短期的な相場見通しに関わらず、安定したキャッシュフローが見込めるPBR0.4倍以下の銘柄に分散投資し、一定の水準まで株価が上昇すればきっぱりと売り、それを何度も何度も繰り返すというものです。また、投資している企業の事業内容や将来性についてはほとんど興味を持っていなかったそうです。

シュロスは2002年にこのやり方は米国では通用しないと悟りましたが、もしかすると日本株ならまだ通用するかもしれませんよ。

グッドラック。
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(参考文献:『価値の探究者たち』)