バフェット太郎です。
誰もが幸せになるために生きていますが、多くの人が幸せになれないのには理由があります。それは、ヒトが不幸になるようにデザインされているからにほかなりません。
進化生物学者のリチャード・ドーキンス著『利己的な遺伝子』によれば、あらゆる生物は遺伝子を後世に残すためにデザインされているとのこと。そのため、我々が結婚し、子どもを儲けることは至極自然なことだと言えます。
しかし、先進国の特殊出生率(女性が生涯に産む子どもの数の平均)が世界的に減少しています。これは、子どもにかかる養育費の増大や結婚・出産に対する価値観の変化、女性の社会進出、避妊の普及などが挙げられます。
つまり、ヒトの遺伝子は後世に残すためにデザインされていますが、我々は遺伝子を残すために生きているわけではないのです。言い方を変えれば、幸せになるために生きているけれど、幸せになるようにはデザインされていないということです。
進化心理学の世界では、我々の脳は進化適応環境に最適化されているなんて言われています。簡単に言えば、現代人と原始人とではほとんど違いがないということです。
たとえば、原始人は遺伝子を後世に残すために、どのパートナーが自分の遺伝子を残すのに最適かを選り好みしなければなりません。原始時代では、狩のうまい男性が選ばれ、女性は安産型の体系が選ばれやすかったかもしれません。
しかし、社会が劇的に変わった現代社会において、狩りのうまい男性は選ばれなくなりました。その代わりに女性がパートナーに求めるのは年収や学歴といったものになったのです。これが現代社会における男性の”狩り”の能力と同じ意味を表すということは言うまでもありません。
ドーキンス氏が指摘する通り、ヒトの遺伝子が後世に伝わるように最適化されているのならば、異性を見る目のないヒトは、遺伝子を後世に残せずに淘汰される可能性が高くなります。別の言い方をすれば、ヒトは同姓と比較して、自分が異性に選んでもらわなければならないのです。
結果、ヒトの遺伝子は常に他人と比較するようにプログラミングされるようになったのです。事実、多くの人は年収や学歴、職業、ルックスが他人と比べてどうかということばかり気にするのです。
もちろん、すべてにおいて他人と比べて優位だということはなくて、どれかが劣っている以上、ヒトは些細なことで劣等感を敏感に感じ取り、つまらない不幸を味わうのです。
こうした不幸の味はインターネットが普及した今、一層強烈なものになりつつあります。誰もが不特定多数の人々に対してマウントを取れるということは、多くの人々が不幸を味わっていることを意味します。それにも関わらず、多くの人々が不幸を味わうために自らSNSに浸かるのは、そうした情報が自分の社会的地位を知る手段にほかならないからです。
つまり、ヒトは遺伝子を後世に残すために他人と比較するようにデザインされていて、他人と比較するが故に不幸になります。従って、ヒトは不幸になるようにデザインされているというわけです。
とはいえ、不幸を回避する方法があります。それは「バカ」になるということです。
誰かが「バカは幸せだ」と言いましたが、これは何も頭の悪い人を指しているわけではありません。他人の目を気にしないくらい好きなこと、夢中になれることがあって、そればかりに熱中できる人のことを指します。なぜなら、他人と比較するヒマなどなく没頭できるからです。
ただし、好きなことばかりやっていてお金を稼げないのであれば、生きていくことはできません。そのため、好きなこと、夢中になれることを仕事にできる人が幸せに生きるための近道だと言えます。また、その成果を一緒になって喜んでくれる家族や仲間をつくることも大切です。
グッドラック。
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誰もが幸せになるために生きていますが、多くの人が幸せになれないのには理由があります。それは、ヒトが不幸になるようにデザインされているからにほかなりません。
進化生物学者のリチャード・ドーキンス著『利己的な遺伝子』によれば、あらゆる生物は遺伝子を後世に残すためにデザインされているとのこと。そのため、我々が結婚し、子どもを儲けることは至極自然なことだと言えます。
しかし、先進国の特殊出生率(女性が生涯に産む子どもの数の平均)が世界的に減少しています。これは、子どもにかかる養育費の増大や結婚・出産に対する価値観の変化、女性の社会進出、避妊の普及などが挙げられます。
つまり、ヒトの遺伝子は後世に残すためにデザインされていますが、我々は遺伝子を残すために生きているわけではないのです。言い方を変えれば、幸せになるために生きているけれど、幸せになるようにはデザインされていないということです。
進化心理学の世界では、我々の脳は進化適応環境に最適化されているなんて言われています。簡単に言えば、現代人と原始人とではほとんど違いがないということです。
たとえば、原始人は遺伝子を後世に残すために、どのパートナーが自分の遺伝子を残すのに最適かを選り好みしなければなりません。原始時代では、狩のうまい男性が選ばれ、女性は安産型の体系が選ばれやすかったかもしれません。
しかし、社会が劇的に変わった現代社会において、狩りのうまい男性は選ばれなくなりました。その代わりに女性がパートナーに求めるのは年収や学歴といったものになったのです。これが現代社会における男性の”狩り”の能力と同じ意味を表すということは言うまでもありません。
ドーキンス氏が指摘する通り、ヒトの遺伝子が後世に伝わるように最適化されているのならば、異性を見る目のないヒトは、遺伝子を後世に残せずに淘汰される可能性が高くなります。別の言い方をすれば、ヒトは同姓と比較して、自分が異性に選んでもらわなければならないのです。
結果、ヒトの遺伝子は常に他人と比較するようにプログラミングされるようになったのです。事実、多くの人は年収や学歴、職業、ルックスが他人と比べてどうかということばかり気にするのです。
もちろん、すべてにおいて他人と比べて優位だということはなくて、どれかが劣っている以上、ヒトは些細なことで劣等感を敏感に感じ取り、つまらない不幸を味わうのです。
こうした不幸の味はインターネットが普及した今、一層強烈なものになりつつあります。誰もが不特定多数の人々に対してマウントを取れるということは、多くの人々が不幸を味わっていることを意味します。それにも関わらず、多くの人々が不幸を味わうために自らSNSに浸かるのは、そうした情報が自分の社会的地位を知る手段にほかならないからです。
つまり、ヒトは遺伝子を後世に残すために他人と比較するようにデザインされていて、他人と比較するが故に不幸になります。従って、ヒトは不幸になるようにデザインされているというわけです。
とはいえ、不幸を回避する方法があります。それは「バカ」になるということです。
誰かが「バカは幸せだ」と言いましたが、これは何も頭の悪い人を指しているわけではありません。他人の目を気にしないくらい好きなこと、夢中になれることがあって、そればかりに熱中できる人のことを指します。なぜなら、他人と比較するヒマなどなく没頭できるからです。
ただし、好きなことばかりやっていてお金を稼げないのであれば、生きていくことはできません。そのため、好きなこと、夢中になれることを仕事にできる人が幸せに生きるための近道だと言えます。また、その成果を一緒になって喜んでくれる家族や仲間をつくることも大切です。
グッドラック。
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